12月19日(土),サンダースは平安神社で納会を行いました。
この1年を走りつづけ,無事にここまでたどり着いたみんなが笑顔でいられることに感謝する日。
そしてサンダースという季節を完走した六年生たちを送り出す日――です。

この日のためにお母さんたちは,お弁当の手配や記念品の準備をします。
西本ヘッドは,納会前にCチームの四年生へ(小野寺コーチが撮りためた写真から)ベストショットをプレゼント,プチ壮行会を行いました。
しげコーチはこの日にお披露目する映像の制作に有給休暇を使い,スコア担当の神田・山岸両コーチは1年間の膨大な記録の集計に奔走します。
そして高島監督は……前日から六年生との別れがさびしくて家で泣いています(高島家ではその姿で「ああ明日は納会なのね」とわかるんだとか)。

思えば今年の1月,初めてAチームに足を踏み入れたときに感じたファールラインの内側と外側の気圧の差。内側に入るのにちょっと勇気が必要でした。そんなダイヤモンドで選手たちは,生きたり(セーフ)死んだり(アウト)を自在に繰り返し,晴れやかな顔で休息したかと思うとまたあちら側へ戻っていく。まるで生死の境目を行き来する妖精のように見えたときもありました。そんな厳しくもなんとも清らかな野球に魅了されて早一年。気づくと私もその境界線を行き来できるようになっているのでした。

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それにしても思う,サンダースが毎年つくり上げているものはなんなのだろう? と。
「学童野球を通して地域の子どもたちの健全な育成」と言うのは簡単だけど,なんというか,親も子も忙しい昨今「それは非生産的だよ」と一蹴されてしまいがちな,人間くさいものを必死に守りとおそうとしているように見えるときがあるのです。

そんな片鱗が垣間見れたのは,今年の秋口からはじまった六年生たちの失速劇のときでした。監督と選手の距離が物理的にも精神的にもの離れてしまったとき,春・夏と積み上げてきたものがガラガラと崩れていくのがわかりました。六年生たちにとっては気の毒な出来事だったけど,戻ってきた選手たちが発する緩慢な〈気〉をいち早く察知してしまった監督は,どうしようもなく許せなかったんだろうね。おれとお前の間に築いた緊張の糸はどこへやってきたんだ!? と。

「学童野球」という季節。
自我が芽生える前の野球少年・少女が,社会(第一に家庭)に影響を受けながらくり広げる野球群像劇。
少年・少女は家からのメッセージを毎週伝書鳩のように抱えてやってくる。そこには「戸惑い」「苦言」「愛情」が選手のプレーとなって伝わってきます。選手の親たちと間接的に付き合っていることを,監督・コーチは知っている。だからこの季節の野球はおもしろいんだと。

そういった幾層もの気持ちが複雑に交差した何かをサンダースは毎年つくり上げているんだろうな。
強いていうなら,選手一人ひとりを中心に織り込んだ人間模様のタペストリーかもしれない。

今年も無事,偉大な織物を平安神社に奉納できたサンダース!
みんな笑顔でホントよかった!
みなさん一年間ご苦労様でした!

最後は,キャプテン重太郎が納会の場で挨拶しそこねた(笑)一文で締めくくりたいと思います。
六年生たちはこのタペストリーをこれからどんな模様に広げていくんだろう。